祝福家庭の責任

神は真なる乙女と息子、神の愛をたっぷり受けたその子供を失った。そして男女同士を考えた場合、神を中心とした夫婦関係を失った。そして子供から見た場合、真なる父母の価値を失った。堕落の行動一つで、この三つがみな奪われた。だから、いかにしてこの三つの心情を一瞬に、蕩減復帰の原則によって、蕩減し、神認め得る基準を立てるかが問題である。
まず神の前に真の娘、息子として神を愛する基準を復帰し、その過程を通過して、年ごろになって神の愛を中心として夫婦が結ばれ、さらに神喜び願う四位基台の善なる子女を生まなければならない。(文鮮明先生の御言葉 1969年2月4日 東京)

これは1969年に語られた御言葉ですが、文鮮明生の哲学、思想はぶれません。
表現上のバリエーションや、さらに明らかにされることによる意味の深化はありますが、その普遍性、真理性は変わることがありません。
これが、文鮮明先生の思想、伝統が教理ではなく、原理であるということの証しですね。
引用の御言葉は、堕落によって失った三大心情を明快に説明し、復帰すべき内容が何であるかを明確に表現されています。
堕落によって失ったものは、①神様との親子関係、②神様を中心とする夫婦関係、③真の父母の価値であると文鮮明先生は指摘します。
ゆえに、復帰すべき内容は、①真の子女として神様を愛する基準、②神様を中心とする夫婦関係、③神様の願いであり、喜びのための善の対象となる四位基台、すなわち善の子女である、ということです。
祝福結婚式において行われる主礼との間で交わされる成婚問答にも、必ずこの内容が盛り込まれています。
同時にこれが、神様が干渉することのできない「人間の責任分担」となります。
成婚問答で答えた内容は、祝福に与った本人の責任において成し遂げるべきものなのです。
その意味で、「はい(イェー)」という返答は、素晴らしくも恐ろしいものであると言わざるを得ません。
勢いで叫んだだけの無責任な宣誓になってはいけないということであり、意味も分からずに何となく返事しておけばいいというようなものではないのです。
「家庭盟誓(カジョンメンセ」も同様であり、自らの家庭が神様の前に果たす責任として、毎回、8か条の内容を宣誓しているわけです。
家庭において復帰すべき内容、神様の前に家庭の誓い。
「家庭」と言えば、小さな範囲のように思いますが、家庭が無限の世界と永遠の歴史に及ぼす影響は絶大であり、決定的なものであるというのが原理観でしょう。
人類の行くべき道、祝福家庭の責任について改めて考えさせられています。



常に人類に対して御言葉を語られる文鮮明先生