2012-11-01から1ヶ月間の記事一覧

対社会への働きかけ〜最も重要なのが教育

教会は、原理ばかりを第一としてはいけません。もちろん、原理を中心として思想的基盤を立て、信仰生活の基礎をしっかりとつくらなければなりませんが、それに伴って対社会運動、その中でも、教育をしなければなりません。最も重要なことが教育です。教育を…

「公」と「私」の分別基準で問題を解決する

私的なことは悪に属するのであり、公的なことは善に属するのです。歴史も同様です。私的な歴史はサタンの歴史であり、滅びる歴史です。公的な歴史は神様の歴史であり、善の歴史です。皆さんが教育するときにも、そのような観念でしなければなりません。目で…

真なる教育とは

皆さんが受けている教育の中で、真なる教育とは何でしょうか。本当の教育、真なる教育は、人のために生き、そして死になさいと教える教育です。それ以上の教育はありません。(文鮮明先生の御言葉 1970年12月23日)イエス・キリストの御言葉を思い出します。…

普遍的に良心は正しい

皆さん、誰が心を教育しますか? 「私は心の小学校に通った。私は心の中学校に通った」という話を聞いたことがありますか。これは、教育を必要としません。絶対に教育は必要ないというのです。今日、いくら法がたくさんあるとしても、心以上の道理を教えてあ…

宗教は心を教育するためのものではない

宗教とは、何をするものでしょうか。心を教育するためのものではありません。宗教は、心に力を与え、体に対しては制裁を加えるのです。なぜでしょうか。本然の位置に帰らせようとするからです。それゆえに、高次的な宗教であるほど、心を拘束しようとしませ…

宗教者が自戒すべきこと

宗教が現実的規範原理や所在を超越しているかといって、その現実的作用までも無視してはいけません。宗教は、現実問題自体に至大なる関心をもって、神のみ旨の適用可否を深く調べなければなりません。また、政治、経済、社会、教育など、各分野の現実問題を…

学校で何を教えるべきか

私が建てた学校には、どこでも三つの標語が掲げられています。一つ目が「昼十二時のように影のない人生を生きなさい(正午定着)」です。影のない人生とは、すなわち良心に引っ掛かることがない人生です。地上での人生を終えて霊界に入っていけば、生涯、自…

ために生きる人生

子女は両親の血と肉を受けて生まれます。両親がいなければ子女はいません。ところが、この世の中に一人で生まれたかのように個人主義を主張する人がいます。誰からも何の助けも受けない人だけが個人を主張し、個人主義を語ることができます。世の中に自分だ…

交叉祝福

理想的な平和世界を成し遂げようとするとき、交叉祝福より早い道はありません。他の方法では時間がどのくらいかかるか計算もできないことが、交叉祝福によって、二、三世代経てば奇跡のように成し遂げられます。ですから、平和世界が少しでも早く訪れるよう…

愛ゆえに…

神様に必要なものとは何でしょうか。愛です。神様が必要とされるものは、ほかのものではありません。神様は、天地万物をなぜつくられたのでしょうか。愛のためです。シンプルな表現の中に最も根本的な内容が語られています。 愛ゆえに神様は全てを二性性相に…

宗教の目的

神様の不変の目的は、真の愛の理想世界の実現です。宗教の目的達成は、真の愛と真なる家庭が実現化されることです。反対に、このような目的に寄与せずにそれ自体のためだけに存在すれば、たとえ神様を口実にしても、その宗教は神様とは関係ありません。宗教…

宗教の使命

いかなる宗教であっても、天に導いていく宗教は、犠牲と奉仕と他のために生きるという原則を教えます。それは、その国の原則に符合させるために、言い換えれば、故郷の地に帰っていくとき、そこに合う習慣とすべての教育をするために、そのように教えざるを…

宗教的価値観

宗教的価値観の崩壊原因とは何でしょうか。それは、第一に、科学技術の発達と経済成長などで、人間の精神が物質主義に流れているからです。第二に、共産主義をはじめとする各種の無神論と唯物思想が急速、かつ広範囲に蔓延しつつあるからです。第三に、政治…

人類救済と教育

学校は、幼年時代から成長して成年になり、社会に進出する時まで教育するのです。大学は、学士・修士・博士コース、社会に進出する時まで教育するのであり、そして社会に出た人々を教育するのは言論機関です。これが破綻しています。今、言論機関が世の中で…

針と糸

我々は今、「破れた国」という着物を縫い繕わなければならない立場であると例えてみよう。すると、この私は針であり、皆様は糸のようなものである。糸は針にくっついていなければ着物を縫うことができない。針だけいくら通っても駄目だ。で、針も重要である…

悔い改めて新しく出発させてください

統一教会に対する責任を担っているこの文先生も、言いたいことを全部言いながら暮らしているのでは決してない。祈りをする時も、「天の父よ……」と祈り始め、その後はものを言うことができず、そのまま夜を明かしてしまうことがいくらでもある。気がふさがる…

天国への許可証明書

天国に入るためには、サタンに打ち勝ったという証明がなければならない。その証明書がなければ天国に入ることができないのである。けれども我々がサタンに打ち勝とうとする時、サタンはそのままいるのではない。最後まで抵抗し反対するのである。このように…

我々の目的は天国建設

他人も救わなくてはならない。世界も救わなければいけない。また、神も救わなければならないのが我々である。このような公的な勝利は、暖かい部屋の中では勝ち取ることはできない。喜びの日というのは、今の我々には、よほど縁が遠い。我々は、既成教会と闘…

統一教会の行くべき道

我々は、統一教会のためにのみ生きてはならない。国家のために生きてはならない。世界のために生きなければならないのである。たとえ、犠牲になることがあっても、我々は、この道を歩まなければならない。このようにして個人は生きられる。美しい黄昏を見る…

「公」と「私」

神の欲望はある個人にだけ限定されない。全体にわたるということを天は望む。「公」と「私」とが、ここから分別される。「公」というものは全体のためのものである。それゆえに、全体が望むもののために尽くすのが、「公的」であるということができるのだ。…

メシアは真の父母、祝福家庭は氏族的メシア

我々になぜメシヤが必要か、その目的はどこにあるか。それは救われるのが目的である。救われる根本の基点は何か。神の愛の接触点に再び帰ることである。立ち帰るには、我々自体はどうなっているか。サタンの血統を引きずっている。一から十まで、すべてが神…

神の創造目的

アダムと神様が一つになる、その結びつけるものはいったい何によるか? ここに平面的代表者は人間であり、立体的代表者は神である。それを永遠に結びつける紐、結びつける結実点、結びつける中心のポイントがいわゆる愛であるというんだね。だから、この肉体…

神様はなぜアダムをお造りになったのか

なぜ神様はアダムというタイプの象徴を通過したか。万物は形をもったものである。しかし神様は無形である。何のタイプももっていない。大きいというと無限大。小さいというと無限に小さい存在である。ある標準的タイプの形成、それを表示しても、実体をもっ…

統一教会の真の伝統

一人山頂に残って、涙を流す――天のために嘆くその人は、世界の平和をたたえるその人よりも、もっと深刻なる人です。こういう意味において、イエス様のゴルゴタにおける三次の祈りは、いかなる祈祷よりも深刻なものであったのです。そういう人がいる場合、天…

キリスト教と統一教会の共通点

イエス様が最後に、「わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」(マタイ二六・三九)と言いながら死んでいったその態度の中に、あらゆるものが含まれているのです。それゆえ、我々は天の意志と一致するそういう道を歩かなければなり…

歴史の復活体

問題は、我々が環境に支配されるのではなく、環境を支配しながら、あるいは環境に影響を与えながら、寂しい人々を慰め、無力な弱い人々に力を与えつつ、未来のための希望を彼らに提示しながら、自分がいかなる生涯を送るべきかという点について深く考えなけ…

信仰生活の原点

我々が統一教会に入って信仰していく場合にも、最初の出発点は何かというと、神に対して子供であるという実感、神の愛を中心とした子女の立場を復帰することである。神より愛される自分であり、この偉大なる神のみ言を誇りとして、天宙にそれをたたえ得るよ…

祝福家庭の責任

神は真なる乙女と息子、神の愛をたっぷり受けたその子供を失った。そして男女同士を考えた場合、神を中心とした夫婦関係を失った。そして子供から見た場合、真なる父母の価値を失った。堕落の行動一つで、この三つがみな奪われた。だから、いかにしてこの三…

相対基準と絶対基準 相対性と絶対性

愛の持ち主はいったい誰か。愛の主人は誰か。男性の立場からいった場合には、女性がいなければ愛も何もあったものではない。愛の相対基準は男性の前には女性である。女性の前には男性である。しかし、これは相対基準であって、愛の絶対基準にはなり得ない。…

復帰はどこから始まるのか

神のみ旨が成就しなかったのは男女の堕落である。だから、一人で神のみ旨を正すことはできない。男女共同して、そこに神のみ旨を立たせることによって、そこから社会、国家の問題が復帰の立場となる。それなくしては、国家も世界も、あるいは天宙も復帰でき…