統一教会の真の伝統

一人山頂に残って、涙を流す――天のために嘆くその人は、世界の平和をたたえるその人よりも、もっと深刻なる人です。こういう意味において、イエス様のゴルゴタにおける三次の祈りは、いかなる祈祷よりも深刻なものであったのです。そういう人がいる場合、天は彼を取り巻いて深い関心をもたざるを得ないのです。そういう人が、全人類の希望の的となっていることを我々は知らなければなりません。そういう人を中心として、天は動くのです。自分一人の利益のために生きる人は光を残すことはできません。しかし、国家のために、世界のために、天のために生きる人は復活圏内に入ることができるのです。最後まで残る唯一なものは天であります。ゆえに天のために生きる人が最後まで生きることができるのです。(文鮮明先生の御言葉 1970年9月27日 韓国・ソウル)

文鮮明先生の教えの神髄のような御言葉です。
これは今から42年前に「生涯において何をなすべきか」という題目で語られた御言葉の結びの内容です。
文鮮明先生は生涯を通じてぶれることはありませんでした。
記録に残された御言葉を可能な限り読み解き、それらの整合性をチェックしてみてください。
その徹底した目的観と一貫性は、実に驚くべき内容です。
これこそが人類歴史の奇跡と呼ぶべき内容です。

「天のために嘆く」
「国家のために、世界のために、天のために生きる」
これが文鮮明先生の思想の核心であり、統一教会の持つべき真の伝統に違いありません。
私たちはどれほど神様の事情と心情を思って涙しているでしょうか。
2012年を越え、2013年を迎えるにあたって、このことを真剣に考えてみなければならないと思います。
私たちが生涯においてなすべきことは何なのか。
エス様が神様の前に見せた姿勢こそ、キリスト教の伝統であり、統一教会創立に託された願いであるはずです。
そして、誰よりもそのような生き方を実体で示してくださったかたが文鮮明先生なのです。



世界巡回路程において来日され、御言葉を語る文鮮明先生