人類救済と教育

学校は、幼年時代から成長して成年になり、社会に進出する時まで教育するのです。大学は、学士・修士・博士コース、社会に進出する時まで教育するのであり、そして社会に出た人々を教育するのは言論機関です。これが破綻しています。今、言論機関が世の中で、自分たちを中心としてお金をもうけるために、あらゆることをしています。(私たちは)社会的な道義を世界に影響を与えるために立っている、という自負心を持たなければなりません。(文鮮明先生の御言葉 1995年7月16日)

教育が重要であることを否定する人は多くはないでしょう。
しかし、教育されている側がその重要性を自覚しているというのは少ない気がします。
親や先生が子供(児童)に寄せる教育への思いを彼らは知る由もありません。
むしろ、大人になってから教育の大切さに気づき、その機会を求めようとします。
しかしながら、それを実践することは時間的にも経済的にも簡単ではありませんね。
そんなとき、「ああ、何事にも時があるのだなあ」と思ってしまいます。
若い時に、学生時代にやっておけばよかったと思うことが少なくありません。

さて、社会においては言論機関が教育を行わなければならないと、文鮮明先生は語られています。
実際、文鮮明先生は、ワシントン・タイムズ世界日報をはじめ、世界中にさまざまな言論機関を創設し、社会の教育のために尽力してこられました。
文鮮明先生の言動は、一つの宗教団体のPRや宣教、伝道を目的としたものではありませんでした。
学校をつくられたのも、言論機関をつくられたのも、全ては神様の悲願である人類の救済と教育のためであったのです。
私たちは文鮮明先生というかたをもっと研究すべきです。
文鮮明先生は一体に何をしようとされていたのか、何をされたのかを。
国家と世界が行く道を見失い、向かうべき方向がよく分からずにいる時代であるがゆえに、私たちは文鮮明先生が遺された思想と伝統、業績をしっかりと受けとめて、謙虚な心で知ってみるべきだと思うのです。

文鮮明先生に教育された、否、今もなお教育を受けている私たちです。
文鮮明先生に教育されている私たちこそが、社会の教育者となって世界に影響を与えていかなければならいと思います。



日本の教会員に御言葉を語られる文鮮明先生