宗教の使命

いかなる宗教であっても、天に導いていく宗教は、犠牲と奉仕と他のために生きるという原則を教えます。それは、その国の原則に符合させるために、言い換えれば、故郷の地に帰っていくとき、そこに合う習慣とすべての教育をするために、そのように教えざるを得ない、ということを皆さんは知らなければなりません。
今日、私たちは旅人です。本郷の地に行く時に、私たち堕落した人間をそこに合うように教育して案内しようとするのが神様のみ旨です。善の世界は、このような原則に従うことによってのみ設定される、というのが神様の宇宙創造の原則なので、その原則に一致化させるみ旨がある、ということを私たちは知らなければなりません。(文鮮明先生の御言葉 1974年3月9日)

宗教の統一は何によってなされるのでしょうか。
それは、宗教の共通の使命を自覚するところから始まるのでしょう。
文鮮明先生の御言葉から考えてみると、犠牲と奉仕と他のために生きる原則、すなわち神様の愛、真なる愛の原則に従ってこそ、宗教の統一もまた成されるのだと言わざるを得ません。
そしてその愛の原則の基準が地上天国の基準であり、天上天国の基準だと分かります。

統一原理によれば、堕落とは神の真の愛を失ったことです。
ゆえに、原理的な意味での宗教の使命は、堕落した人間を神様の創造目的にかなった本然の善なる人間につくるための教育を行うところにあります。
宗教以外の方法でこのことが可能でしょうか。
神様を教え、神様の宇宙創造の原則を理解させなければ、到底、真なる愛の基準を目指す人生を選択をすることはできないでしょう。
残念ながら、それが堕落人間の性(さが)です。
厳然として永遠の霊界が実在するので、やってもやらなくてもいいというわけにはいかないのが、宗教が担うべき使命の内容なのです。
宗教は弱者に必要なものなのではなく、堕落人間にとって絶対不可欠のものです。
宗教の使命は、堕落人間を本然の人間へと導くための教育の責任を果たすところにあるのです。



文鮮明先生と崔奉春日本宣教師