信仰者に不可欠のもの

知ってみると多くの面において「あ! 足りないな」と言う、これが良い賜(たまもの)である。(『御旨の道』Ⅰ・三 指導者 360)

信仰者に限らないことではありましょうが、謙遜であることは人間にとって不可欠の人格的要素であると思われます。
知らないために傲慢になっていることが数多くあります。
また、この御言葉が「指導者」の項目に入れられていることを考えると、指導者が指導者として持つべき姿勢として文鮮明先生が語られた背景もあるのかもしれません。
一般信徒であれ、指導的立場にある信徒であれ、自らの足りなさを知ることが信仰を持つ者としての大前提なのだと思います。

イエス・キリストはこう語りました。

心の貧しい人々は幸いである、
天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、
その人たちは慰められる。

義に飢え渇く人々は、幸いである。
その人たちは満たされる。

マタイによる福音書5章より

私たちの良心が完全に解放され、私たちが神人愛一体の境地に至らない限りは、私たちは謙遜なくなることを常に恐れなければならないのだと思います。
人の上に立つということは恐ろしいことです。
何か全てのものを持っているかのような錯覚に陥ります。
神を畏れる心、これを失っては信仰はあり得ません。
無知であることを自覚し、自らの不足さから一日を出発するものとなって、良き賜物、天の賜物を見落とさないように一日一日を大切にしなければなりませんね。
これが、喜びと感謝の生活を行う最大の秘訣であると思います。