神様が共に働かれる基準

正しいと思われたら、無条件に着手し、果敢に推し進めていけ。必ず神様が共に働くことであろう。(『御旨の道』Ⅰ・四 実践 374)

まず、「正しい」と、そう考える生活をしなければなりませんね。
正しいのか、正しくないのかも考えない生活ではいけません。
正しいと思う信念の度合いに応じて、「無条件」「果敢」という世界が出てくるのでしょう。
このような心の姿勢がなくては神様は相対されないということです。
何となく、信念も情熱もなく、条件付きで仕方なくやっているようではいけません。

善なることなら損害を受ける覚悟でやってみなさい。絶対に滅びることはない。(『御旨の道』Ⅰ・四 実践 375)

「善なること」。
自らがそう信じ、確信を持っていなければなりません。
「損害を受ける覚悟」。
このような境地こそ、真の責任心情と言えるでしょう。

私たちは行動を起こさなければなりません。
実践しなければなりません。
善を示す真理の御言葉が分かったならば、確信が問題であり、信念が問われます。
責任は無条件です。
条件付きで行う善はないということです。

死生決断、全力投球。