私が果たさなければならない7年路程の責任

六千年の歴史を蕩減しようとするからには、すべての分野において、いなくてはならない第一人者が必要である。ゆえにいかなる分野においても、自分がいなくてはならない責任分野を見つけなさい。そのような責任をもった者なら、神様は憎らしくともかわいくとも、捨てることができない。その理由は、その人のみが担当し得るその分野の使命を、ほかの誰もできないからである。(『御旨の道』554)

今、2020年までの7年路程が韓鶴子総裁によって宣布されました。
7年路程というのは、長成期完成級を越えて歩む完成期の7年路程だと学んできました。
人類がかつて行ったことがない道であるけれど、行かなければならない復帰完成、再創造の道です。
御言葉で実体創造していく期間です。
そうして到達した境地が完成圏、直接主管圏です。
本来、基元節はその意義から想像するに直接主管圏にアダムとエバが立つことを意味するものと考えます。
復帰摂理歴史においては勝利した人類の真の父母が立つ地点がそこなのだと理解します。
2001年1月13日に「神様王権即位式」が挙行され、神様の王権が樹立しました。
樹立した王権の下に立つべき天宙的次元での真の父母を立てる復帰摂理が天一国を出発させるための3次に渡る12年路程ではなかったのでしょうか。
第1次で勝利基準を満たす道もあったのでしょうし、2次という可能性もあっと思います。
しかし、3次に至って、途上とも言える2012年9月3日に文鮮明先生は逝去(聖和)されました。
「Dデー」とは「基元節」であったという理解ですが、2013年1月13日(陽暦2月22日)は果たして「Dデー」となったのか。
2月22日、「7年路程」が出発しました。
残された「伝道」と「氏族的メシア」の勝利を懸けた7年路程です。
「これ以上延長は許されない」7年路程となるでしょう。
引用の御言葉で語られた内容が蕩減されなければならない7年でもあります。
そのような主体性が問われる今までありましたが、それがなされなかったためにこれからの7年があるのではないでしょうか。
責任の完遂のための召命と命令と使命を受けた7年路程です。
徹底した主体性が求められる7年です。
自分がいなくてはならない責任分野を見つけてその責任を果たさなければなりません。
7年路程。
重い言葉です。
韓鶴子総裁がそのことを宣言、宣布しなければならなかった立場は本当に重く、深刻な立場であったと察します。
地上に肉身(肉体の生命)を持ち果たさなくてはならない韓鶴子総裁の立場です。
真のお母様としてだけでなく、天地人真の父母様として……。
祝福家庭として、聖霊の前にある聖徒として、7年路程の責任を果たさなければなりません。
他の誰でもない、私自身が、私の家庭が果たさなければならない7年路程の責任です。

天地人真の父母様天一国即位式および天一国基元節入籍祝福式

天地人真の父母様天一即位式および天一国基元節入籍祝福式」が間もなく始まります。
http://jp.ipeacetv.com/
でネット中継されていますね。
外は雪のようです。
会場のある京畿道加平郡雪岳面はバスで混雑しているようです。
会場に到着できていないバスも多いようですね。
司会者は、このような時に事故がないようにと、繰り返しています。
ステージには天正宮の巨大な模型が設置されています。
行事の司会はヤン・チャンシク総会長と鮮文大学のキム・ヨンヒ女史(英語)が務めています。

聖霊に責任をもつ聖徒になりたい

責任上から見るとき、神様のことはみ子が責任をもち、み子のことは聖霊が責任をもち、聖霊のことは聖徒たちが責任をもたねばならない。なぜかというと、み旨とは全体のみ旨であるから、全体が責任を負わなければならないからである。(『御旨の道』552)

基元節を前にして、大変意味深い内容の御言葉が目に止まりました。
最近は「責任」という言葉が心から離れません。
人類歴史において「責任を果たす」ということがあまりにも重大な意味をもっていたということです。
「人間の責任分担」ということ。
神様は人間を神様の子女として創造したという事実。
神様のみ旨は、人間の責任分担によって完成するということが創造原理の核心的内容だということです。

天の父母なる神様に対して真の息子である文鮮明先生が責任を果たし、文先生に対して実体の聖霊である韓鶴子お母様が責任を果たし、お母様に対して子女である真の子女様と祝福家庭が一つになって責任を果たしていくという、全体の責任完成こそが基元節の起点となるべきであると考えるとき、基元節は希望の起点ですが、一方で審判の起点でもあると思わざるを得ません。
許されて出発する一日であると同時に、み旨に対する果たされなかった責任ばかりが思い出されて、悔い改めるしかない私なのだということだけがこの胸に去来します。

天暦1月13日、陽暦2月22日。
ヨブが灰をかぶったごどく、アダムが土の塵から生まれたように、新しく生まれることを許していただく一日であると肝に銘じたいと思います。

聖霊のことは聖徒たちが責任をもたねばならない……。
聖霊の実体としての韓鶴子お母様を守り、支え、2020年までの7年の路程を必ずや勝利しなければなりません。
父は天のために、母(妻)は父(夫)のために、子女は父母のために、兄弟のために……。
それが祝福家庭の責任だと考えます。

主体的信仰〜愛の完成の道

先生がいると思うな。いなくてもいるときと同じ基準を保って、より発展し得る心をもって歩まねばならない。(『御旨の道』551)

今、問われているのは主体的信仰であると思います。
誰かに依存して生きていこうとする思いを捨てなければなりません。
「依存」ということの全てを否定するつもりはありません。
成長途上において「依存」は厳然として存在するものですし、積極的な意味で「依存」が必要な成長段階というものもあるのだと考えます。
「守・破・離」という言葉がありますが、信仰の道においても通ずる内容ではないかと思います。
私たちの行く道は、子女が成長し、父母となっていく道です。
愛の成長とは、愛の完成とはいかなるものであるかをもっと研究しなければなりませんね。
本日引用の御言葉、今こそ噛み締めて体じゅつしなければならない御言葉です。
基元節以降、この御言葉を座右の銘として、7年路程を歩んでいかなければならないと思います。
7年路程を必ずや勝利的に越えていかなければなりません。

2020年までの7年路程

勝利は、戦わずにあり得ない。死ぬか生きるかという闘いの末に、勝利は決定されるのである。(『御旨の道』545)

2020年までの7年路程が発表されました。
文鮮明先生の聖和以降の韓鶴子夫人の御旨を成そうとされる決意と意気込みには圧倒されるものがあります。
その心情は私の心にも徐々に徐々に浸透してきていることを感じます。
感化されていますし、すでに「7年路程」に向かう新たな決意というものが私の心に生まれてきているのを感じます。
勝利は、戦わずにあり得ない。
死ぬか生きるかという闘いの末に。

この基準をもって7年路程に向かわなければならないのだと思わされています。
(まだ、本気でそうなっていないのが悲しいし、悔しいですが・・・・・・)
「地上天国を実現したい」
「実体的天一国を創建したい」
「天の父母のもとの人類一家族世界を成したい」
そんな思い、願望がわいてきます。
この7年で私は何をすべきか、私の責任は何か。
2月10日(天一国元年元旦)に真のお母様は「伝道しなさい」と強調しました。

今日、元旦を迎え、「神の日」を迎えて、私たちが天の父母様として本当に敬愛しながら高くお迎えしてさし上げなければなりません。そして、万民に地の果てまでこのみ言を伝播しなければなりません。聖書にもあるでしょう? み言と鉄の杖をもって何をするといったのですか? 万国を治めなければなりません。それはどういうことですか? 伝道しなければなりません。分かりますか?

7年路程、皆様の決意はいかがですか?

神は愛なり

より大きな中心に相対的基準を立てることが、公的問題である。(『御旨の道』536)

私たちには、より公的に生きることがより善の生き方であるとの認識がありますね。
では、公的に生きるコツは?
文鮮明先生の御言葉はそれを明確に示しています。
より大きな中心に相対基準を立てなさい・・・・・・。
要するに神を中心として生きよ、ということですね。
ところで、「より大きな」とは何が大きいことを指しているのでしょうか。
・・・・・・
これは、総合的に考察してみて、「愛」の大きさを指していると思われます。
しかし、多くの場合、人間は権力や地位、富の大きさに惹かれ、そこに相対的基準を立てていこうとするのが常であったように思います。
私たちは神を見いださなければなりません。
そして、「神は愛なり」と思えるようになるかどうかが人生の最重要テーマであると言っても過言ではないと思います。
私自身、人生の中で「神は愛だなあ」と心に感じたことが財産となっています。
これがなかったら、このブログもなかったでしょう。
信仰生活の原点はここにあるように思います。
神は父母である、すなわち神の愛は父母の愛である・・・神様の愛に父母の愛を心底感じたなら、私はより公的な存在として成長し、発展していくことでしょう。
公的な自分になれないとすれば、それは別なものを感じて生きているからではないでしょうか。
基元節以降、何を感じて動くのか、何を根として生きていくのかで、随分、人生の差が開いていくのだと思います。

天の父母様

主流思想の伝統を立てなさい。その根源は、父母の愛である。(『御旨の道』499)

神様を「天の父母様」と呼ぶようになりました。
「真の神の日」が「天の父母様の日」となり、家庭盟誓の文言の中の「神」も「天の父母様」と変更となりました。
これにより、「父母」という内容が強調され、明示された格好です。
引用の御言葉によれば、主流思想の伝統の根源は「父母の愛」だということです。
言い換えれば、「父母の愛」から伝統が始まるということです。
2013年は、基元節は、「父母の愛」という伝統の核心を明示することから始まるのだと言えそうです。
真の愛とは神様の愛、すなわち父母の愛であり、私たちの相続すべき伝統の核心は「父母の愛」にほかならないのです。
父母の愛、父母の愛・・・・・・、寝ても覚めても、明けても暮れても、「父母の愛」を探して生きていかなければなりません。
それなくして、実体的天一国は始まらないのです。
神の国とは、天の父母様の国なのです。
私たちは、「天の父母様のもとの人類一家族世界」を目指しているのです。