神は愛なり

より大きな中心に相対的基準を立てることが、公的問題である。(『御旨の道』536)

私たちには、より公的に生きることがより善の生き方であるとの認識がありますね。
では、公的に生きるコツは?
文鮮明先生の御言葉はそれを明確に示しています。
より大きな中心に相対基準を立てなさい・・・・・・。
要するに神を中心として生きよ、ということですね。
ところで、「より大きな」とは何が大きいことを指しているのでしょうか。
・・・・・・
これは、総合的に考察してみて、「愛」の大きさを指していると思われます。
しかし、多くの場合、人間は権力や地位、富の大きさに惹かれ、そこに相対的基準を立てていこうとするのが常であったように思います。
私たちは神を見いださなければなりません。
そして、「神は愛なり」と思えるようになるかどうかが人生の最重要テーマであると言っても過言ではないと思います。
私自身、人生の中で「神は愛だなあ」と心に感じたことが財産となっています。
これがなかったら、このブログもなかったでしょう。
信仰生活の原点はここにあるように思います。
神は父母である、すなわち神の愛は父母の愛である・・・神様の愛に父母の愛を心底感じたなら、私はより公的な存在として成長し、発展していくことでしょう。
公的な自分になれないとすれば、それは別なものを感じて生きているからではないでしょうか。
基元節以降、何を感じて動くのか、何を根として生きていくのかで、随分、人生の差が開いていくのだと思います。