聖書の読み方

我々がいつ、アベルのように祭壇を築こうとして苦労し、いつ我々が、アブラハムモーセやイエス様のように苦労したことがあるか。(『御旨の道』Ⅰみ旨について・二 復帰・復帰の心情)

聖書の読み方の一つに、登場人物になったつもりで読むという読み方があると思います。
もし私がアベルだったら、もし私がカインだったら……という感じです。
真剣に人の話を聞く人はそんなに多くありません。
話は聞いていたとしても、ただ聞いているだけの場合が多いものです。
本を読んでも、他人事で終わってしまうことも多いのではないでしょうか。
私はヤコブでも洗礼者ヨハネでもありませんが、その立場に立ち、彼らが感じたことや考えたことを想像し、吟味してみることは私たちの人生、とりわけ信仰者にとっては大切なことだと思います。
そのように読んでみることで、共感することも多いでしょう。
反発を覚えたり、異議を訴えたくなることもあるかもしれません。
それでも、聖書の中の人々に寄り添ってみて、神様とどのように接し、自覚せずとも復帰の道をどのように歩んできたかを尋ねることは信仰者として意義あることだと思います。
私自身を含め、統一教会の教会員はもっと聖書を読むべきだと思います。
読む価値があるというだけでなく、聖書の中の人々と共に生きていかなければならないからです。
「私」が復帰節理歴史の所産であるとするなら、なおさらではないでしょうか。
今なお、復帰の道は続いており、行くべき道が残っています。



聖書についてたくさんのことを教えてくださった文鮮明先生