み旨の道は開拓の道

み旨を知ったならば、自ら「み旨を中心としての目的を与えてください」と言って、自らの道を開拓していかなければならない。(『御旨の道』Ⅰ・四 実践 387)

「自ら」というところが課題ですね。
み旨を知ったのに、「自らの道」を探し出せないことは本当に悲しいことだと思います。
これでは“生殺し”状態です。
しかし、その責任は誰でもなく、自分自身にあるということです。
み旨の道を歩んでいるつもりでも全然復活しないという場合、以上の点をよく考えてみる必要がありますね。
また、目的を持たずに歩むということもあり得ない話ですから、み旨の道を目的も分からずにみ旨の道を行くということは不可能だということになります。
「自らの道を開拓していかなければならない」
天啓が降りてきた思いです。
「み旨を中心としての目的を与えてください」と真剣に祈り求めなければなりません。