文鮮明先生の生涯

90年の人生を捧げて生きてきた私の生涯は、ただただ天宙の真の父母であられる神様を解放してさしあげ、父母の位置を取り戻してさしあげ、死亡圏であえいでいる人類を救い、神様の懐にお返しすることでした。このみ旨のため、私は独りで万難を貫いて勝利し、父母を失った孤児の身の上に転落した無知蒙昧な人類を導き、この世界の救援の道を歩んできました。(「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」のメッセージから)

文鮮明先生の生涯は何のためにあったのでしょうか。
神様の解放と人類の救済のためにあった、ということです。
「父母を失った孤児の身の上に転落した無知蒙昧な人類」、このような表現で、人類の姿を言い表すことのできるかたが文鮮明先生なのです。
「神のもとの一家族」という世界観もまた、このような背景に心情的に通じなければ、絵に描いた餅であって、単なるスローガンで終わってしまいかねません。
わが子を失ってしまった父母なる神の心情、父母を失って孤児となってしまった人類の事情を知らなければ、「神のもとの一家族」というビジョンを心から欲する者とはなれないでしょう。
私たちは文鮮明先生からビジョンだけをもらう者となるのではなく、そのようなビジョンを求める動機の心情と事情まで相続しなければならないのです。
そうでなければ、生涯を通じて、生涯を捧げて、み旨の道を行くということはできないでしょう。
文鮮明先生がどのような動機で生きておられたのか。
今こそ、そのことを再確認、再認識すべき時なのだと感じます。