自然体で生きる

先生は、何をしていても自然のように見えるでしょう?(はい)先生は山に行けば即座に山の人になるのです。海に行けば海の人に、農村に行けば農夫になるのです。学者の世界に行けば学者になり、どんな学者をも相手に理論を語り合うのです。(拍手)先生はやらないことがありません。乞食にすらなってみたのです。ござに座り、寝る時、「神様の息子はこのように寝ます」と。これはどれほど詩的なことでしょうか。
このような天の事情を皆さんは先生から学ばなくてはならないのです。先生が話す時、皆さんはひっくり返って逃げようとして、「私は聞くのは好きですが、行動は嫌です」と言いませんか?(「摂理から見たアベルの正道」より)

本当に自由な人は誰とでも、何でもできるのだと思います。
文鮮明先生は「どれほど詩的なこと」と言いますが、ご自身はいつも神様の息子として生き、生活しておられるからなのですね。
聞くだけではいけないと思います。
行動によって、生活を通して現われる、神様の息子・娘にならなければなりません。
父母なる神様の愛を感じて、詩的に、芸術的に、自由に生きる私になりたいと思います。